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AI全盛時代における「人間のアイデンティティ」について暦本教授に話を聞いた


ここ数ヵ月で、AIは非常に早いスピードで進化を遂げています。ChatGPTが注目され出したかと思えば、様々なLLMや生成系AIツールが次々と発表されていき、各ツールの精度も加速度的に高まっている状況です。

その変化に伴い、人間とAIを対比した構造で議論されることもしばしばあり、そうなると、私たち人間の存在価値や存在意義がどこにあるのか、いよいよ分からなくなってくる気がします。

そのようなAI全盛時代における人間のアイデンティティはどのように変化していくのかについて、情報科学者である暦本 純一氏にお話を伺いました。暦本氏といえば、「SmartSkin」と呼ばれるマルチタッチシステム技術(スマホ画面を指2本でピンチイン/ピンチアウトなどで操作するための技術)を20年前に発明するなど、ユーザーインターフェース研究の世界的第一人者として知られる人物です。

インタビューでは大塚製薬株式会社提供のカロリーメイト リキッドを飲みながら、人間とAIの大きな違いとして挙げられる身体性についてもお聞きしました。

プロフィール

暦本 純一(れきもと じゅんいち)
情報科学者
東京大学大学院情報学環 教授/ソニーコンピュータサイエンス研究所フェロー・CSO、ソニーCSL京都ディレクター 他
世界初のモバイルAR(拡張現実)システムNaviCamを1990年代に試作、マルチタッチの基礎研究を世界に先駆けて行うなど、常に時代を先導する研究活動を展開している。現在は、Human Augmentaion(人間拡張)をテーマに、人間とAIの能力がネットワークを越えて相互接続・進化していく未来社会ビジョン Internet of Abilities (IoA)の具現化を行っている。iF Interaction Design Award(2000)、日本文化デザイン賞(2003)、日経BP技術賞(2008)、 日本ソフトウェア科学会基礎科学賞(2014)、 ACM UIST Lasting Impact Award(2014, 2017)などを受賞。2007年にACM SIGCHI Academyに選出される。

 

インタビュアー:清野 隼史(きよの としふみ)
Qiita株式会社
プロダクト開発部 Qiita開発グループ マネージャー
アルバイトを経て、2019年4月にIncrements株式会社(現 Qiita株式会社)へ入社。Qiita Jobs開発チーム、Qiita開発チームでプロダクト開発や機能改善等を担当。2020年1月からQiitaのプロダクトマネージャーに就任。現在はプロダクトマネジメントとメンバーのマネジメントを行う。

現時点の生成系AIは、産業革命でいうところの「炭鉱のポンプ」だ

清野:Qiitaで日々投稿される記事を見ていると、ここ最近は、ChatGPTなどの生成系AIをテーマとする記事が爆発的に増えています。ChatGPTを扱う際のTipsを紹介するものもあれば、「中長期的にはエンジニアが不要になる」というような話もあり、AIと人間を比べるような論調が増えてきている印象です。

そのような世の中の「AIへの反応」を、暦本さんはどのように捉えているのでしょうか?

暦本:すべての技術は人間の何かを塗り替えているのであって、例えば「移動」という観点で考えてみても、歩くという行為から、自転車や自動車に乗ることでスピードアップを図ってます。

今回のAIの話も、基本的にはその延長だと思っているのですが、一点違うとすれば、今回はいわゆる「ホワイトカラー系」の仕事に影響が出ているという点だと感じます。今までは肉体労働系の仕事など、何かしらのフィジカルな能力を使う行為をロボットなどで代替するといった話がメインでしたが、今回はそれ以上に、知的産業領域がAIに代替されるのではないかという点が、人々がこれほど反応する要因だと思います。

コンピューターの歴史を考えてみても、70年前は「コンピュータ(計算手)」というのは人間の職業だったのです。当時のコンピュータールームには、機械ではなく「計算する人」がたくさんいたのです。しかし今ではコンピュータといえばもちろん電子計算機のことですよね。このように、ある産業セクターが丸ごと消えるという変化は今までも起きていたわけで、今後もそれは十分に起きえるし、さらに加速していくことが想定されます。

清野:知的産業領域での大きな変化が加速度的にやってくる可能性があるということですね。今も昔も、そのような大きな変化をもたらすテクノロジーに対してワクワクする人もいれば、恐怖感を抱いて抵抗しようとする人もいると思っていて、特に後者の声はSNSなどでも拡散されやすいなと感じています。

暦本:産業革命の時にはラッダイト運動(労働者による機械打ち壊し運動)がありましたし、カメラが登場した時も印象派より前の画家たちは非常に反発していました。しかし、すぐに当たり前のこととして浸透するようになる。きっと破壊的技術が登場しても、だいたいの場合は、一世代を経ると変わってしまうんですよ。

具体的にはカメラがやって来た時も、古典主義や写実主義の画家たちが反発した一方で、印象派のモネやポスト印象派のゴッホはカメラネイティブ世代だったので、「写真」があるという前提で絵画を学んでいったわけです。

このように歴史を紐解いてみると、一世代を経ると、どのような技術でも使いこなすことができると思うのですが、今回のAIの動きに関してはスピードが非常に速いんですよね。変化の間隔が一世代どころか年単位になっているので、技術や時代の変化に対して人類が今まで適応してきたスピードを超えてしまっているのかなとは感じています。

清野:暦本さんの著書「妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方」(祥伝社)では、タイトルにもあるとおり「妄想力」がメインテーマかと存じます。妄想力の観点でChatGPTをご覧になったとき、どのような感想を持たれましたか?

暦本:とりあえずはまだ、産業革命でいう「炭鉱のポンプ」だなと感じています。

清野:どういうことですか?

暦本:産業革命が始まったきっかけは、ジェームズ・ワットの蒸気機関だと言われていると思いますが、蒸気機関はもともと何のためにあったかというと、炭鉱の排水を汲み出すためだったんですよね。つまり当時の蒸気機関技術のキラーアプリは炭鉱のポンプだったわけですが、30年くらい経つと蒸気機関車として鉄道を走っていたわけで、そこから移動手段の革命につながります。

今のChatGPTも、産業革命でいうところの炭鉱のポンプだと言えます。みんな炭鉱のポンプで「すごいすごい」「これでポンプを動かしていた人の職業が奪われる」と言っているのですが、多分ここ10年以内に、それをはるかに上回る、いわば蒸気機関車に匹敵する発明や産業が生まれると思っています。

炭鉱のポンプを見た時に「このポンプを馬車にくっつけたらどうなるだろうか」と考えた人がいるはずで、それこそが妄想力なんですよね。すでにあるものの延長線上ではなく、「とんでもなく変なことを考える人」というのが、これから必要になってくるでしょう。

AIが優れているからといって、失われない領域もたくさんある

清野:先ほど「世代」の話が出てきましたが、生成系AIが完全に普及して身近なものになってきた際の私たち世代における人間の役割は、どのように変化していくと想像されますか?

暦本:「自動化してもらったら嬉しい」領域と「自分ができたほうが嬉しい」領域があると思っています。自動演奏機能付きのピアノを例に考えてみると、勝手に弾いてくれて嬉しいという感覚と、自分で弾けたほうが嬉しいという感覚は別ですよね。このように産業以前の話として、「私がやりたい」「できると嬉しい」という領域があって、そこに対する価値の再認識が高まっていくのではないかなと思います。

食べ物や飲み物に関しても同様で、味わって楽しめるというのは人間、ひいては生き物が持つ感覚であって、仮にAIが味覚センサーのデータから「おいしい」と分析したとしても、あまり嬉しくないですよね。このように、AIが自動化してくれるのなら、では自分が何をしたいかの本質は見直されると思います。

清野:効率性を追求するのではなく、「何をしたいか」が大事になると。

暦本:そうですね。AIが優れているからといって、失われない領域もたくさんあります。例えば将棋や囲碁も、もはやコンピューターの方が強いと言われていますが、それでもプロ棋士をはじめ私たちは今まで通り将棋を指して楽しんでいますし、むしろコンピューターを使って練習して強くなっている棋士の方もいるくらいです。その差は何なんでしょうね。一種のタレント性かもしれないですね。この人がやっているから観るのが嬉しい、みたいな世界観でしょうか。

そういえば先日京都の祇園祭に行ってきたんですよ。あれはまさに、効率化とは真反対の取り組みですよね。1000年以上の歴史があるお祭りなのですが、それを現代でも続けている理由は、少なくとも何かを効率化をするためではないですよね。それでも至高の価値があると。

このように、「究極の効率軸」と「やりたい軸」というのは人の中でも同居しているので、「何をやるべきかではなく、何をやりたいかが大事」というよりかは、両方がハイブリッドで存在し、その両方を意識することが大事なのではないかと思います。

清野:例えばアートの場合はいかがでしょうか? AIが創る音楽に心打たれることもあれば、AIが描いた絵に惹かれることもあると思います。そうなった時に、クリエイターとAIの境界はどうなるとお考えでしょうか。

暦本:そこは本当に難しいところですね。おっしゃる通り、生成系AIが作ったものに本気で感動して涙を流すことも、今後増えてくると思います。もはや時間の問題だと感じていて、感動するという受け手としての人間の価値や存在意義はあるものの、提供サイドとしてどのような棲み分けになるかは、現時点では何とも言えないなと思います。もちろん直近では、最終調整を人間が行うというハイブリッドでの役割分担が進むことにはなるとは思います。

人間とAIの根本的な違いの一つは「モチベーションの有無」

清野:暦本さんが提唱されている「Human Augmentation(人間拡張)」についても聞かせてください。今回の生成系AIの到来によって、拡張の具合はどのように変わると感じますか?

暦本:それも先ほどの話と同じく両面があると思っていまして、AI単体で動かすよりも人間とAIとのハイブリッドの方がトータルで考えると良いという領域が、今までたくさんあったと思います。いわばサイボーグ的な方向ですが、それに対して徐々に人間の比率を減らしていった方が良いという話も多くありますよね。

例えば囲碁の世界を見てみると、以前のAlphaGo(アルファ碁)は人間が打った棋譜を元に学習をしていたわけですが、その後に開発されたAlphaZero(アルファゼロ)では囲碁のルールだけが必要で、人間のデータを全く必要としません。この現象は囲碁だけに限らず、生成系AIに対するプロンプト調整を人間が担っている面についても、ある時点から人間が全く介入しないでコンテンツなどが生成されるということが起きると思っています。

ですから、完全自動化の世界とハイブリッドの世界は30年くらいは両立することになると思いますが、いずれは人間の拡張すら必要ないという世界になっていくかもしれないと感じています。

清野:まさにその領域までいくと、いよいよ人間の価値って何だ?となる気がするのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

暦本:そのような人間の価値みたいな発想って、近代以降ですよね。私たち人間の直近300年ほど以前は、本当に動物的に毎日をなんとか生き延びていた気がするんですよね。近代以降はたまたま自我について考えるようになったわけであって、そのままの自我感でいくと、もしかしたら未来のテクノロジー感とはミスマッチになってしまうかもしれませんね。

先ほどのお話に戻ると、ここから30年ほどの時間軸については、AIが完全自動化した方が良い領域と人間が介在した方が良い領域を「判断」するのは、まだ引き続き人間が担える部分ではないかなとは思います。自動化(オートメーション)と拡張(オーグメンテーション)は必ずしも対立する概念ではないので、適材適所になるでしょう。オートメーションで効率化した分、自分がやりたいことに取り組む時間が増え、その能力が拡張される(オーグメンテーション)ことには価値があります。

ただ、これが100年後くらいになってきて完全オートメーションの社会が到来し、あらかたの仕事はAIが行うことになるとするならば、人間は詩を詠んだりして自分がやりたいようなことだけをやるユートピアになるかもしれませんし、もしくはやることがなくなってみんなぼーっとしているだけになるかもしれません。そこは正直わかりませんね。

清野:ここ30年ほどのハイブリッドの時代における役割分担については、様々な組み合わせが生まれてきそうだなと感じます。

暦本:例えば料理の配膳ロボットを考えてみると、顧客のテーブルまで料理を運ぶのはロボットがやりますが、そこから先の手元への配膳は顧客自身がやっていますよね。あれなんかは、顧客が提供という役割の一端を担っていると言えます。他にも、AIにエンハンスされた手工業みたいなものもあるかもしれませんね。AIが学習したものを、人間に転移学習させるみたいな。そんな世界はすでに各所で見られていますし、今後ますます増えていくと思います。

清野:よくAIの話になると、例えばSF映画のように「AIが人間を排除する」みたいな話が出てくると思います。この辺りは実際のところ、どのようにお考えですか?

暦本:もちろん可能性としてはゼロではないとは思いますが、この辺はモチベーションの話に関わってくると思います。人間には「お金を儲けたい」とか「幸せになりたい」といった動機があって、そこからブレイクダウンして行動すると思いますが、AIにはこの「〜したい」が基本的にないですよね。そう考えると自律的に排除しようとすることに対する防御策よりも、人間がAIに対して目的を設定する際の防御策を講じる必要性の方が、直近としては大事かなと思います。

清野:たしかに、AIはどこまで言ってもシステムですからね。

暦本:少なくとも現時点においては、AIには生存本能というものがないですからね。そもそも「痛い」という感覚も概念もないですから、そのモチベーションは根本的に違いますね。

人はもっと「暇」になった方がいい

清野:ここまでのお話を踏まえると、私たちはこれからどのようなマインドセットで生きていくべきとお考えでしょうか?

暦本:やはり最初にお伝えしたような「〜をしたい」というものを見つけることが大事なんじゃないかなと思います。

清野:やりたいことがない場合はどうするべきでしょう?

暦本:それはそれでいいと思います。『莊子』に「無用の用」の教えが書かれています。何かの役に立つ木は伐採されてしまうので、巨木となるのは役に立ちそうもない木だと。用がないものほど大成するという示唆ですね。その考えで捉えると、やりたいことがないのであれば大きく構えればいいとも思うんですよね。

最近だと、OpenAIのCEO(サム・アルトマン氏)がWorldcoinを発表しました。あれはまさにベーシックインカム的な考えのもとで、やりたいこと/やることがない人はそのままでいいんじゃないかという思想ですよね。そう考えると、毎日一定の時間働く必要はもはやないのかもしれないです。私自身、アイデアはボーっとしているときに出てくることもありますからね。ある程度暇である必要があるのだと思います。学問、scholarの語源であるラテン語の「schola(スコラ)」も、「暇」や「余暇」を示すギリシャ語「skhole(スコレー)」から来てると言われていますから。

清野:先ほど祇園祭のお話がありましたが、それこそ京都って、良い意味で「暇」を大事にしている部分があるかと思います。ある意味で「暇になるための工夫」が大事そうですね。

暦本:そこは本当に大事だなと思います。今、東京と京都を行き来する生活を送っているのですが、京都にいると、効率や一過性ではない「永遠の豊かさ」みたいなものを考えさせられます。

清野:暦本さん自身は、「〜したい」の文脈では、どのような過ごし方をされているのですか?

暦本:「趣味:研究、特技:研究」なのですが、それ以外だと料理をするのが好きなので、自分で食事を作っていますね。食べ物は基本的に、幸せにしてくれます。それがすごく重要だなと。人間の身体に必要な栄養のバランスを考えるのも大事ですしね。

清野:暦本さんは、カロリーメイト リキッドのプロモーションを監修されていらっしゃると思うのですが、同製品は5大栄養素がバランスよく含まれた栄養補助食品ですよね。

「リモートワークをしながら」「仕事の合間」など、ながらで手軽に、身体に必要な5大栄養素の補給ができるカロリーメイト リキッド。日常の栄養補給にはもちろん、食が進まない時にも、すっきり飲むことができる。特にカロリーメイト リキッドは飲料タイプなので、人目を気にせず栄養補給でき、ストックしておけば日々の栄養管理にも便利だと言える。冷やしたものをストローで飲むのがおすすめとのこと

清野:そしてキービジュアルでもある「私はロボットではありません」は、今回のインタビューのテーマとも重なるなと感じています。

暦本:そうですね。まさに人間の身体性が故のポイントかなと感じています。AIはお腹が空きませんからね。ブロックタイプは学生時代によく食べていまして、徹夜して論文とかを書くなどして外へ食べに行けない時のお供でしたね。懐かしいです。

清野:今回、リキッドタイプのカロリーメイト リキッドを飲んでいただきましたが、いかがでしたか?

暦本:発売当初に飲んだことがあるのですが、当時よりも飲み心地が格段に改善されている印象を受けました。すっきりしていて飲みやすく、身体に必要な5大栄養素も取れるので、気軽に手にしてもらえると思います。

清野:これまでのお話を踏まえると、身体性こそが人間とAIの大きな違いとして挙げられるということですね。最後に改めて、「AI全盛時代に問う人間のアイデンティティ」というテーマで、読者の皆さまにメッセージをお願いします。

暦本:繰り返しにはなりますが、自分が「やりたい」と思ったことをやるべきで、特にないのであれば、それはそれで良しとしつつ、やりたいことを探していくと良いかなと思います。またテクノロジーによる効率化と、自分が生きる上での充足感は矛盾なく両立するので、ぜひ両方を追求していくと面白いと思います。

編集後記

暦本氏の著書『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』にて、物事を考える際の一種のフレームワークとして「天使度」と「悪魔度」という尺度が登場します。天使度とは発想の大胆さを表す尺度であり、一方で悪魔度とは、細心さや技術レベルの高さを表す尺度だと説明され、この2軸4象限のマトリクスに沿ってアイデアを評価する考え方が紹介されています。
今回のテーマを踏まえると、AIは主に悪魔度をエンハンスする技術だと捉えることができる一方で、天使度については、当面は人間が本領発揮できる領域になるのだろうと感じた次第です。なお今回の取材を通じてカロリーメイト リキッドを飲ませていただきましたが、想像以上に喉越しがよく、固形製品の液体版ということで連想される「ドロッ」「モタッ」っとしたイメージは、一種の認知バイアスだったのだなとわかりました。これならば、仕事に集中した後の一服としてぜひ飲みたいです。少々酸味のあるサラッとした後味が心地よいので、ぜひ試してみてください。

取材/文:長岡 武司
撮影:法本 瞳

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